島根県雲南市木次町のJR木次駅前に大型ショッピングセンター「マルシェリーズ」が3月9日に開館した。

マルシェリーズ。
サン・チェリヴァ跡、待望の復活
ショッピングセンター「マルシェリーズ」は1993年に開業したショッピングセンター「サン・チェリヴァ」跡に開業。
4階建で売場は2階まで、売場面積は約7,000㎡。
サン・チェリヴァはイズミヤ(大阪市)が核となっていたが、2015年4月に閉店。
木次駅前唯一の大型店であったため、買い物難民解消を目指して雲南市が建物を買収、新テナントを誘致していた。
「マルシェリーズ」は市場「マルシェ」と、さくらんぼ「スリーズ」(フランス語)を合わせた造語。旧称と同じく「さくらんぼ」をモチーフとした名称となっている。
核店舗は松江市のスーパー「マルマン」。そのほか、衣料品店「パレット」、100円ショップ「ダイソー」、書店「今井書店」などが出店する。
今井書店ではCD・DVDも取り扱う。また、オープンイベントとして「ノンタン40周年フェア&パネル展」を開催する。
マルシェリーズの営業時間は9:00~20:00まで(一部テナント除く)となっている。

「マルシェリーズ」のロゴ(雲南市ウェブサイトより)。
「マルシェリーズ」テナント一覧
1階
マルマン(スーパー)
マルシェわたなべ(青果・花)
マルシェリーズカフェ(喫茶)
貴光(宝飾品、眼鏡)
くすりのフクハラ(薬)
オンダクリーニング(クリーニング)
2階
パレット(衣料品スーパー)
ダイソー(100円ショップ)
今井書店(書店)
レインボーランド(ゲームセンター)
リップルマーク(美容院)
フォワード(太陽光発電)
しゅくらん(マッサージ店)
3階・4階・屋上
立体駐車場
店舗事務所
(2016年3月現在)
サンストリート亀戸、2016年3月31日閉館-アイドルイベントの聖地、再開発で
東京都江東区のJR亀戸駅近くにある大型ショッピングセンター「サンストリート亀戸」が3月31日を以て閉館する。

サンストリート亀戸。
下町の憩いの場
サンストリート亀戸は1997年11月にセイコー社の時計工場跡に開業。
都電の軌道跡を活用した亀戸緑道公園にも面している。
運営はセイコーエプソンの子会社だった(のちに系列離脱)「タイムクリエイト」。2階建で、売場面積は約15,000㎡。
店舗はオープンモールで、マックスバリュ(屋号:つるかめランド、イオンが買収)、ヤマダ電機、ABCマート、トイザらス、蔦屋書店、ダイソーなどが入居しているほか、広場や子供の遊び場もあり、気軽に立ち寄れる住民の憩いの場となっていた。

つるかめランド。
Perfume、Negicco…アイドルイベントの聖地
アクセスはいいものの、近隣の錦糸町や浅草に比べて地味な下町であった亀戸。
そこで、サンストリートが力を入れたのがイベントの開催だった。
特にサンストリートが目玉としたのはアイドルイベントであり、広島から上京直後のPerfumeがここで何度もライブをしていたことは有名。
近年も東京のアイドルのみならず、仙台のDorothy Little Happy、新潟のNegicco、福岡のRev.from DVLなど、全国各地のアイドルがこの地でイベントを行っていた。
最後のイベントは3月30日に開かれるNegiccoの新曲リリース記念イベントとなる予定。
その他にも、サンストリート亀戸では大道芸やお笑いショー、プロレスなどといった様々なイベントを実施しており、毎夏開かれる阿波踊り大会は、今や亀戸の名物の1つになっていた。
跡地は超高層タワーマンション-商業施設も復活
閉館後のサンストリート亀戸は解体され、大規模な再開発が行われる予定。
再開発のコンセプトは「CITY IN THE GREEN」。
跡地には60階建ての超高層マンションが2棟建設されるほか、下層部には大型の商業施設も新設されるという。
「気軽に立ち寄れるショッピングセンター」として親しまれてきたサンストリート亀戸。
工事は長期間に亘ることが予想され、完成が楽しみな一方、生活が不便になる住民も少なくはなさそうだ。
外部リンク:サンストリート亀戸
外部リンク:サンストリート跡地の真相(再開発部分参考)(I Love 亀戸)
マルショク流川通り店、2016年秋ごろ開店-旧本店、ようやく建替え復活
大分県別府市のJR別府駅近くの商店街にあったマルショク流川店跡に「マルショク流川通り店」が2016年中に開店する。

工事中のマルショク流川通り店予定地。
マルショク旧本店、ようやく復活
マルショクが出店するのは別府市中心部の流川通りで、もともと1957年から2013年まで営業していた「マルショク流川店」の跡地。JR別府駅に近く、周囲には商店街が広がる。
マルショクは1947年に別府市で創業。開店当時の流川店は木造の建物だったが、その後増築を繰り返し、1960年代には事実上のマルショク本店となり、1966年末の増築で総合スーパー化した。1981年の増築時には温泉噴出事故も起きている。

大規模増築・総合スーパー化した直後のチラシ(1966年)。
流川店は最終的に6階建(売場は4階まで、7,500㎡)となり、多くのテナントも出店していたが、近年は建物の老朽化が著しく、2013年2月を以て閉店していた。

マルショク流川店の旧店舗。2013年に閉店した。

店舗そばのソルパセオ銀座商店街。
飲食店が多く、夜間に賑わう。
新しいマルショク流川店は1階建てで、食品を中心とした店舗。店舗前には平面駐車場を設置する。売場面積は1,000㎡~2,000㎡ほどが見込まれる。
開店時期は2016年9月ごろを予定している。

出店予定地(Googleマップを用いて作成)。
旧店舗は図の駐車場部分まで店舗として活用していた。
マルショク大分本社、7年ぶりの新規出店-新時代のモデル店となれるか?
マルショクサンリブグループのうち、大分県・熊本県・宮崎県・福岡県京築地区の店を管轄する「株式会社マルショク」(本社:大分市、2016年3月現在の店舗数84店)は、かつて100店以上の店舗を抱えたが、ディスカウントドラッグなどとの競争による急速な業績悪化に伴い2009年のマルショク舞鶴店(大分市)、マルショク御船店(熊本県御船町)開店以降は新規出店を凍結。以降は、長年に亘って不採算店舗と老朽店舗の閉鎖などの合理化を行ってきた。
合理化の過程で、近年は店舗の雨漏りや故障部分が修復されていない事例も目立つようになっており、先行きが不安視されていた。

一部売場を閉鎖している店舗もかなり多い。
マルショクは創業地の別府市においても、2013年の流川店閉店以降に青山店、春木店を閉鎖。店舗数を大幅に減らし、別府市内全体では10店舗となっていた。
マルショク流川通り店のそばには「トキハ別府店」、「ゆめタウン別府」、「えきマチ一丁目別府」(旧別府ステーションセンター、核:マルミヤストア別府駅店)、「ドラッグストアモリ流川店」など競合店が数多くあり、中途半端な店づくりでは苦戦を強いられることは目に見えている。
観光地の中心部への出店であり、また高齢者の利用も多いと思われるため、それらをターゲットとしたちょっとした飲食コーナー(フードコート)や休憩所、土産品コーナーなどもあれば望ましいだろう。
新たなマルショク流川通り店が新時代のマルショクのモデル店舗となることができるかどうか注目される。
外部リンク:マルショク・サンリブグループ
イトーヨーカドー、1号店の千住店など閉店へ-来春までに20店舗
セブンアンドアイホールディングス傘下のスーパー「イトーヨーカドー」は、2017年2月までに20店舗を閉鎖することを発表した。

閉店を発表した千住店。
一号店「千住店」も閉鎖、「聖域なき業績立直し」アピールか
3月8日に閉店が発表された店舗は、イトーヨーカドー・ザ・プライス千住店、イトーヨーカドー戸越店、イトーヨーカドー本牧店の3店舗。残りの17店舗については今後発表する。
イトーヨーカドーは16年2月期決算で営業損益が上場来初の赤字となり、不採算店や老朽店舗を閉鎖することで、スーパー部門の立て直しを図りたい考えだ。
今回閉店を発表した店舗のうち、千住店(現店舗は1968年築)・戸越店(1967年築)は築年数がかなり高く、時代に合わせた売場づくりが難しいことも影響していると思われる。
また、イトーヨーカドー千住店(足立区)はイトーヨーカドーの創業店として知られており、創業店も閉鎖することで「聖域なき業績立て直し」の断行を内外に示すという狙いもあろう。
なお、千住店は解体後に建設されるビルへの再出店も検討するとしている。

千住店1階に掲げられた看板。
「千住の地を大切にする」とあるが、跡地はどうなるのであろうか。
セブンアンドアイは、今回の大量閉店に伴い約55億円の特別損益を計上する一方、コンビニエンスストア事業(セブンイレブン)の好調により過去最高益を更新する見込みとなっている。
外部リンク:イトーヨーカドー
外部リンク:ザ・プライス千住店
関連記事:そごう柏店、9月30日閉店-首都圏一等地、問われる経営判断
そごう柏店、2016年9月30日閉店-首都圏一等地、問われる経営判断
セブンアンドアイホールディングス傘下の「そごう・西武」は、千葉県柏市の百貨店「そごう柏店」(柏そごう)を9月30日に閉店することを発表した。

そごう柏店。
14階建、3館体制…柏のシンボル的百貨店
「柏そごう」は1973年10月に開店。地上14階、地下1階、3館体制で、売場面積は39,729㎡。
開店時のキャッチフレーズは「みどりのまちにお城のような百貨店」。
「柏髙島屋」、「丸井柏店」などと同年の開業であり(丸井は旧店からの移転開業)、それぞれが国鉄柏駅とダブルデッキ(ペデストリアンデッキ)で連結されるという、当時としては画期的な街づくりで注目を集めた。

特徴的な連絡通路。
「柏そごう」はそごうグループで初の回転展望レストランや複層立の連絡通路を設置。また、当初は「株式会社柏そごう」の運営で、地域貢献の姿勢を前面に打ち出し、地元店舗が入居する専門店街を設置した「スカイプラザ」を併設するなど、のちのそごうの店舗づくりにも大きな影響を与えた。14階という高層部にある展望レストランは市内の至る所から目立つ存在であり、現在も柏駅前のシンボルの1つとなっている。
2005年からはスカイプラザの直営売場を削減、大型テナントとしてビックカメラが入居している。

現在も営業を続ける回転展望レストラン。
柏の街が一望できた。
店舗改革実施の最中、無念の撤退に
従来、柏駅前の百貨店は「幅広い世代を対象とする柏髙島屋」(専門店街には女子高生・大学生向けのテナントも多い)に対し、そごう柏店は「シニア向け」という印象があった。
一方で、東京のベッドタウンである柏市は40代や50代よりも30代の人口のほうが多く、そごう柏店は昨年から「新入社員が選ぶ初任給に送りたいプレゼント」を提案するなど、比較的若い世代に向けた品揃えと商品提案に舵を切り始めたばかりだった。更に、一昨年からは大手百貨店では比較的珍しい産直野菜の売場を導入。また、地元で作られる「柏ビーズ」を使った雑貨を販売するなど、地域の実情に合わせた店舗改革を実施していた。また、別館であるスカイプラザも2015年に改装したばかりだった。
しかし、昨年そごう・西武の親会社であるセブン&アイホールディングスが百貨店・総合スーパーの不採算店の大規模閉店を発表。親会社の方針に逆らうことはできず、超好立地であることを十分活かすことなく店舗改革半ばでの「無念の撤退」ということになりそうだ。
なお、そごう西武では、同時に「西武百貨店旭川店」の閉店も発表した。

西武百貨店旭川店。こちらは10階建、2館体制。
そごうは「アリオ柏」に移転
「そごう・西武」は2016年4月に開業するのショッピングセンター「セブンパーク アリオ柏」(売場面積約65,000㎡)に百貨店(小型店)と傘下のロフトを出店することを発表した。そごう柏店は事実上「アリオ柏への移転」となる。
ビックカメラ柏店などの専門店や、改装したばかりのスカイプラザ専門店街の処遇については、現時点では発表されていない。
そごうの建物は建築から43年が経過しており、首都圏を代表する大都市の一等地なだけに、今後は大規模な再開発を行うことも予想される。
経営判断が問われるセブンアンドアイ
そごう柏店は現在、「ビックカメラ」、「洋服の青山」、「山野楽器」、エイベックスのダンススクールなどといった多数の大型テナントが入居しており、(一部床は地権者の所有とはいえ)安定した家賃収入があると思われる。また、立地もこれ以上になく好立地で、規模も申し分ない。
そごう柏店は折しも店舗改革のさなかであったという。そごう西武は、親会社との意思疎通が取れていないのであろうか。
また、立地を考えると、こういった小規模な店舗改革のみでなく、セブン&アイが都心店並みの資金を投入してフロアやテナント構成を見直す、ファッションビル的なテナントを導入する、さらには複合ビルに建て替えるなどといった、抜本的な店舗改革を行なえば、十分黒字化できた店舗なのではないだろうか。
(仮にそのような有力テナントの導入が「アリオ・ヨーカドーのテナントと被る」という理由で出来ないのであれば、百貨店が大手流通傘下に入っているメリットとは何なのか疑問に思えてくる)
地方百貨店では、以前都商研においても紹介した「酒田清水屋」や「トキハ別府店」のように、従来の百貨店とは大きく異なった手法で百貨店の店舗を維持しつつ、直営売場の圧縮や地域に欠落した専門店の導入などにより客層を広げ、黒字化する努力を行った店舗もある。

高級フランス料理から同人誌まで扱うという酒田清水屋。
百貨店はその規模や立地などから「都市の顔」とも言われることがあり、その閉店の影響は総合スーパーの比ではない。
地域の祭りにおいて百貨店が山車を出したり、地域のイベントにおいて百貨店がスポンサーとなっている光景を見た事ある人も多いであろう。かつての百貨店は「地域貢献」を行うという姿勢を前面に打ち出すことで、地元経済と融和し、そして地域住民にも信頼され、愛される存在であった。
百貨店はブランドイメージを最も大切にする企業である。「そごう」と「西武百貨店」は、かつての経営再建の過程で多くの店舗を閉店した。そしてその後、多大な努力を払ってブランドイメージを立て直し、再び日本を代表する百貨店の1つとなった。
一方で、セブン&アイ傘下後のそごうは、ディスニーとのスポンサー関係を解消してシンボルであるからくり時計を停止したり、多くの店舗で噴水などの稼働も全面停止、百貨店社旗の掲揚を廃止したことなどに象徴されるように、 「ハレの日のための百貨店らしさ」を消す合理化を断行している。

かつてのシンボルであるからくり時計を懐かしむ人は多い。
百貨店の「非日常的演出」は消えゆく運命か。(広島そごう)
セブン&アイにとってみれば「百貨店の業績を立て直すための費用と同じ額を投資するならば、セブンイレブンに投資したほうが回収しやすい」ということは紛いもない事実である。
しかし、セブン&アイがこのまま「採算が悪化すればすぐに切り捨て」という方針を取り続けていくならば、再び「そごう・西武」全体ののれんに、ひいては百貨店業界全体にさえも大きな傷を付けることになり、それが更なる経営不振を招くというスパイラルに陥る遠因にもなりかねない。
外部リンク:そごう柏店
関連記事:西武百貨店旭川店・旭川ロフト、9月30日閉店
関連記事:ヨーカドー、1号店の千住店など閉店へ-来春までに20店舗
外部リンク:西武旭川店ならびにそごう柏店の営業終了について(そごう・西武、PDF)
参考文献:月刊ストアーズレポート2015年6月号「街ぶらとエリアモードでそごうは地域深耕に加速(そごう柏店)」
関連記事:セブンパークアリオ柏、4月25日開業
西武百貨店旭川店・旭川ロフト、9月30日閉店
セブンアンドアイホールディングス傘下の「そごう・西武」は、旭川市の百貨店「西武百貨店旭川店」(西武旭川店)を9月30日に閉店させることを発表した。入居する「旭川ロフト」も同時に閉店するとみられる。

西武百貨店旭川店。
道内第二の都市から百貨店消滅
西武百貨店旭川店は1975年8月に開店。A館(地下1階、地上8階)とB館(地下1階、地上10階)の2館体制で、売場面積は約24,200㎡。
JR旭川駅ビルには昨年3月に「イオンモール旭川駅前」が開業。イオンモールは旭川西武の向かい側に位置しているため、旭川西武周辺の歩行者通行量は増加していた(旭川市の調査による)一方で、西武の売上増加には繋がっていなかったという。

イオンモール旭川駅前。西武の向かいに立地。
(イオンモール旭川駅前ウェブサイトより引用・一部加工)
昨年、そごう・西武の親会社であるセブン&アイホールディングスは、百貨店・総合スーパーの不採算店の大規模閉店を発表。旭川西武の閉店検討も、その一環であると見られる。
なお、そごう・西武は「柏そごう」(そごう柏店)も同時に閉店する予定。そごう・西武では今年2月に「西武百貨店春日部店」(春日部西武、旧ロビンソン百貨店春日部店)を閉店したばかりだった。
そごう柏店。
西武百貨店の閉店後の処遇は未定。一方で、旭川市は人口約34万人を数える北海道第二の都市であり、商圏規模からすれば百貨店の維持は十分可能であると考えられ、今後が注目される。
店舗概要などの詳細はこちら:西武百貨店旭川店、閉店を検討
外部リンク:西武旭川店
関連記事:そごう柏店、9月30日閉店-首都圏一等地、問われる経営判断
外部リンク:西武旭川店ならびにそごう柏店の営業終了について(そごう・西武、PDF)
別府市公会堂(中央公民館)、復原工事が完成-2016年3月7日から公開
大分県別府市のJR別府駅近くにある「別府市公会堂」(別府中央公民館)が約1年半の復原リニューアルを終え、3月7日に公開された。
別府市公会堂(別府中央公民館)。
90年前の輝きを取り戻した公会堂
「別府市公会堂」は1928年3月に竣工。
石炭王であった麻生太吉(麻生太郎元総理の曽祖父)の別荘跡地に建設されたもので、設計は「東京中央郵便局」(KITTE)や「大阪中央郵便局」などで知られる吉田鉄郎。ストックホルム市庁舎をモチーフにした3階建ての館内には、ステンドグラスや天使の像が配置され、建築的価値が高い建物として「docomomo 日本におけるモダン・ムーブメント建築」にも選定されているほか、別府市指定有形文化財にも指定されている。

正面から。スクラッチタイルが美しい。
現在、別府市公会堂には「別府中央公民館」と「別府市民会館」が入居。別府駅西口から徒歩5分ほどと交通の便も良く、各種イベントや市民講座、講演会、高校の文化祭などが開催されていたが、1945年ごろに塗られた戦時迷彩のコールタールは剥がすことができず、21世紀になっても汚れとなって残っていたほか、1968年のバリアフリー改修により正面ファザードは大きく姿を変えていた。

復原された正面エントランス。
公会堂は1990年代にも復原が計画されたことがあるものの、バブル崩壊による景気の後退に加え、阪神淡路大震災による建築費の高騰、市長の交代などから着工には至らず、近年は老朽化によるタイルや窓枠の欠落も見られるようになっていた。
そこで、別府市は2014年から1年半をかけて別府中央公民館の復原工事を実施、合わせて耐震補強・エレベータ設置などを行っていた。

3階テラスより。
大分を代表する近代建築に-設計図を基に忠実に復原
復原に際しては、別府市は近年大きな災害や戦災にも遭っておらず、ほとんどの設計資料がそのまま保管されていたため、タイルから灯具の形状に至るまで忠実に復原することが可能であったという。

館内には星のモチーフが多く取り入れられている。
シンボルのステンドグラスと星形の灯具(3階)。

2階通路には天使像が。
場所によって異なる灯具にもこだわりが見られる。
公会堂中央部の約500席ある大ホールは九州初のバルコニー型観覧席(3階)を備えており、当時の雰囲気を損なうことなく、今後もコンサートなどが開催できるように近代化工事を行った。3階観覧席の一部には、竣工当時の座席が残されている。

近代的な大ホールだが、基本的な造りは竣工当時の設計のまま。
3階観覧席の奥には木造の椅子が保存されている。

1階にはメモリアルコーナーが。
年表や設計図、竣工当時の写真、機械部品などが展示されている。
「別府市公会堂」のフォントは設計図の文字を転写したもの。

かつて屋上に設置されていた空襲警報のサイレン。
現在は公会堂前広場の木の下に置かれている。
3月7日は 14時から復原竣工記念セレモニーが執り行われ、15時半からは市民見学会が開催された。市民見学会では、復原工事の際に取り外された古いスクラッチタイルが記念品として無料配布された。
なお、復原に合わせる形で正式名称も「別府市中央公民館」から「別府市公会堂」に戻されている。「別府市中央公民館」と「別府市民会館」は今後も公会堂の館内に入居する。

7日には市民見学会が開催された。

配布されたスクラッチタイル。

向かいのオフィスビルも公会堂に合わせたモチーフ。
市民に親しまれていることが分かる。
別府市公会堂(中央公民館・市民会館)
別府市上田の湯町6-37
開館時間:9:00~22:00。
見学無料。年末年始以外は無休。
別府にもう1つ残る吉田鉄郎建築
戦災に遭っていないため、古い建物が数多く残る別府市。
中心市街地には、別府市公会堂以外にも吉田鉄郎が設計した建築物として「旧逓信省別府電報電話局電話分室」(旧電電公社別府電話局)が残されている。
こちらの竣工も別府市公会堂と同じく1928年。
現在は「別府市南部児童館」(レンガホール)として使われており、往時のままの美しい外観を見せている。公会堂見学の際には、合わせて立ち寄ってみてはどうだろうか。

別府市南部児童館。
外部リンク:別府市中央公民館
外部リンク:別府市中央公民館の復元に向けて(PDF)
マルカン百貨店、2016年6月7日閉店
岩手の「昭和」がまた1つ姿を消す。
岩手県花巻市上町の百貨店「マルカン百貨店」が、6月7日を以て閉店することを発表した。

マルカン百貨店。
人気の大食堂、ついに終焉
マルカン百貨店は1957年開店。地上8階、地下1階(売場は6階まで)、売場面積は約4,700㎡。
小規模ながら、日本百貨店協会にも加盟。花巻市唯一の百貨店であり、花巻市上町商店街に立地、同市の中心市街地の核店舗となっている。
特に有名なのが6階の大食堂で、高さ約25センチの巨大ソフトクリームは同市の名物の1つとなっていた。
最近は大食堂がメディアに取り上げられる機会も多く、大食堂に観光客の姿も見られるようになった一方で、2011年には地階の食品売場を閉鎖。大食堂以外を訪れる客は少なかった。近年は建物の老朽化が進行、建物に耐震性がないために閉店を決めたという。

マルカン百貨店の大食堂。
(マルカンウェブサイトより引用)
花巻市中心部から大型店消滅
花巻市は人口約10万人の観光都市であるが、マルカン百貨店の閉店で中心市街地から全ての大型店が姿を消すことになる。

花巻市の中心部、上町商店街。
遠くに見えるのがマルカン百貨店。
マルカン百貨店は過去に水沢店、北上店を出店したことがあるものの、いずれも閉店。
現在、マルカングループでは、盛岡市や花巻市の郊外を中心にスーパーマーケット「アルテマルカン」(大船渡市のスーパーマイヤと提携して運営)、大型書店「エムズ書店」などを展開しているが、それらの営業は継続する。
新しい記事はこちら:マルカン百貨店、リノベーションで存続の動き
東急ハンズ奈良店、2016年4月27日開店
大手雑貨店「東急ハンズ」が奈良県に初出店する。
近鉄百貨店は、ショッピングセンター「ならファミリー」(奈良市)の核店舗である近鉄百貨店奈良店に「東急ハンズ奈良店」を4月27日に開店させることを発表した。

近鉄百貨店奈良店(ならファミリー)。
近鉄が運営する東急ハンズ、他店にも?
「東急ハンズ奈良店」は近鉄百貨店奈良店の5階に出店。
東急ハンズは奈良県初出店となる。ならファミリーは今秋までに55億円をかけて全館のリニューアルを行うことを発表しており、ならファミリーの核店舗である近鉄百貨店も県内唯一となる東急ハンズを導入することで、リニューアルするならファミリー専門店街との相乗効果を上げたい考え。
東急ハンズは近鉄百貨店のフランチャイズ店舗として運営されるため、奈良店の成否によっては近鉄他店舗への東急ハンズ導入も考えられる。
一方で、ならファミリーのライバルである「イトーヨーカドー奈良店」(旧奈良そごう)には2010年3月に「奈良ロフト」が出店。奈良市を代表する大型店の競争は今後も続くことになる。

奈良ロフトが出店するヨーカドー奈良店(旧そごう)。
無印良品は奈良市から全面撤退
なお、東急ハンズの出店に伴う改装により「無印良品近鉄百貨店奈良店」は閉店することとなった。
無印良品はかつて奈良市中心部のコトモールにも出店していたが、こちらも既に閉店しており、無印良品は奈良市から完全撤退することになる。
無印良品が出店していない県庁所在地は奈良市と津市のみとなっている。
外部リンク:近鉄百貨店奈良店
ダイエー碑文谷店、5月5日閉店-閉店セール始まる
ダイエーの東京旗艦店「ダイエー碑文谷店」が5月5日に閉店することが決まった。
閉店に先駆けて、3月4日より閉店セールが開始された。
関連記事:ダイエー碑文谷店、2016年5月ごろ閉店へ

ダイエー碑文谷店。
ダイエーの東京旗艦店、41年の歴史に幕
ダイエー碑文谷店は1975年4月に開店。本館は8階建、別館は3階建で、売場面積は約15,000㎡、延床面積は約27,000㎡。
当初は全館が横井英樹氏の会社が運営するボウリング場「トーヨーボール」となる予定だったが、ボウリングブームの終焉とスーパー需要の高まりからダイエーが賃借する運びとなった。
現在は投資ファンドの「ユナイテッド・アーバン投資法人」が建物を所有している。

本館と別館の2館体制。
2016年末よりイオンが入居へ
イオンはダイエーの子会社化に伴い、2016年3月からダイエーの旗艦店級29店舗をイオンに転換することを発表。当初はその中に碑文谷店も含まれていたが、ダイエー碑文谷店は3月よりイオンに経営譲渡ののち5月まで「ダイエー」として営業を続け、閉店後は「イオンの東京における旗艦店」となるべく、建物内外の大規模な改修工事が行われることになった。
改修後のダイエー碑文谷店跡のビルは、2016年11月からイオンリテールが新たに賃貸契約を結ぶことになっており、内外装を一新した上で2016年12月ごろから「イオンスタイルストア碑文谷店」(仮称)を核としたイオンのショッピングセンターとして営業を行うものと思われる。

旗艦店に相応しく、遠くからでも非常に目立つ建物だった。
閉店セールは3月4日開始、高層階は4月3日まで
ダイエー碑文谷店では、3月4日から衣料品などを中心とした閉店セール第一弾が開始されている。
既に高層階を中心にテナントの多くが退店しており、3階以上の売場は4月3日を以て閉店、4月4日~5月5日は1~2階のみの営業となる。
なお、ダイエー閉店後も別館(ABC-MARTなど入居)は営業を続けながら改装を行なう。

チラシ上でも閉店が告知されている。
(ダイエー公式サイトより)
再び「日本を代表する大型スーパー」となるか?
開業以来、ダイエーの東京旗艦店として親しまれ、目黒という立地もあり「日本で一番芸能人に会えるスーパーマーケット」とも噂されていたダイエー碑文谷店。かつては自国産品の販売状況を視察する各国要人や中国残留孤児来日団が訪問するなど、日本を代表する大型スーパーとしてマスコミに登場する機会も多くあった。
今年末に開業するイオンも、地域住民に広く愛される店舗となることができるであろうか。
なお、改修後のイオンリテールの賃貸契約期間は2036年までとなっている。

高層階からは都心を一望することが出来た。
外部リンク:ダイエー碑文谷店(閉鎖)
外部リンク:テナントの異動(予定)に関するお知らせ(ダイエー碑文谷) (ユナイテッド・アーバン投資法人)
関連記事:ダイエー碑文谷店、2016年5月ごろ閉店へ
関連記事:2016年度に閉店予定の主な商業施設
関連記事:ダイエー「旗艦店級」28店舗、3月1日からイオンに転換



