冠婚葬祭業大手の「ベルコ」(兵庫県西宮市)は、大阪なんばの旧「新歌舞伎座」跡地(大阪市中央区)に建設する大型シティホテル「ホテルロイヤルクラシック大阪(仮称)」の概要を発表した。
「ホテルロイヤルクラシック大阪」完成予想図。
(ベルコプレスリリースより引用)
ミナミのランドマークの1つだった「新歌舞伎座」
1958年に建設された「新歌舞伎座ビル」は「そごう大阪店(解体)」「そごう東京店(現:ビックカメラ有楽町店)」「日生劇場」などで知られる村野藤吾の設計。
桃山風の唐破風が幾重にも重なる独特な外観は他に類を見ないものであり、同じ心斎橋にある村野建築として知られていた旧「そごう大阪店」(解体済み、落ち着いた外装とアールデコの内装が特徴)と比較すると、実に対照的であった。
かつての新歌舞伎座。
隈研吾氏設計で新歌舞伎座を復元
ベルコは「ロイヤルクラシック大阪(仮称)」の建設に際し、建築家の隈研吾氏の設計によりかつての新歌舞伎座ビルの外壁を復元することを発表。
隈研吾氏は東京歌舞伎座の高層化・復元工事にも携わっており、今回の大阪新歌舞伎座の外装復元においても、かつてのイメージをそのままにホテルとしても機能的な名建築となることが期待される。
隈研吾氏の設計で高層化・復元された「東京歌舞伎座」。
「ロイヤルクラシック大阪」は地下1階、地上19階建てで、ホテル(150室規模)や結婚式場、バンケットルーム、飲食店などが入居する予定。2016年6月に着工し、2019年10月ごろの開業を目指している。
時代に翻弄された「新歌舞伎座」
「新歌舞伎座」の歴史は時代に翻弄されたものであった。
新歌舞伎座の運営企業は遊園地「ドリームランド」などを運営していた「日本ドリーム観光」。
この企業は1913年に南海電鉄の系列企業「千日土地建物」として創業、千日前で遊園地などを経営していた。その後、1921年から1954年までは松竹系列となっていたが系列を離脱。1958年には、千日前にあった「大阪歌舞伎座」を「新歌舞伎座」として大阪難波の一等地に移転させた。 その後、旧「大阪歌舞伎座ビル」は改修され、1958年より「千日デパート」として営業を開始した(1972年焼失、現ビックカメラ大阪店)。
この「日本ドリーム観光」は、千日デパート火災、ドリームランドモノレール(横浜市)の設計ミスによる運行休止など様々な問題を起こし1988年からはダイエー系列となったが、ダイエーの経営悪化に伴い、2005年に投資ファンドの手に渡る。そして、投資ファンド傘下となった「新歌舞伎座」は2010年に「上本町YUFURA」(大阪市天王寺区)の6階に移転し、かつての新歌舞伎座ビルは空き店舗となった。
その後、旧・新歌舞伎座ビルは2012年に冠婚葬祭業「ベルコ」に売却され、2015年から解体工事が行われ、更地となっていた。
永年に亘って難波のランドマークとなっていた特徴的な建物の復元は、インバウンド需要に沸く難波地区にとって嬉しいニュースとなりそうだ。
外部リンク:2019年秋、大阪ミナミに建築家・隈研吾氏設計の新ランドマークが誕生「ホテルロイヤルクラシック大阪」(仮称)新歌舞伎座跡地に旧建築の意匠を残し生まれ変わります! (共同通信PRワイヤー)